
オスマン帝国の皇帝たちって、歴代どんな人たちだったの?
名前をズラーッと並べると似たようなのが多くて混乱しがちですが、実はそれぞれに「あだ名」や「異名」がついてることがあるんです。これがまた、めちゃくちゃ味があって面白い!格好良いのもあれば、かなり不名誉なやつも…。
この記事では、そんな歴代スルタンたちの「別名」をテーマ別にまとめてご紹介します!
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まずは「さすが帝王!」と拍手を送りたくなるような、勇ましくて威厳に満ちた別名を持つ皇帝たちです。戦での活躍や国の拡張を成し遂げた名君たちにふさわしいニックネームがズラリ。
セリム1世(在位:1512 – 1520)は「ヤウズ(Yavuz)=冷酷者」というあだ名で知られています。
なかなかハードな呼ばれ方ですが、その分だけ軍事の天才で、エジプトやシリア、ヒジャーズ地方(メッカ含む)を征服。 「スルタン=カリフ」の地位を手に入れた、オスマン帝国の飛躍の立役者なんです。
ゆえに「冷酷」というワードには、「厳しく冷酷だったからこその名君」というニュアンスが含まれており、「“卓越者”」とも訳されるんですよ。
オスマン帝国の黄金時代を築いたスレイマン1世(在位:1520 – 1566)は、「カーヌーニー(法の人)」という正式な称号を持つほかに、ヨーロッパからは「壮麗王(スレイマン・ザ・マグニフィセント)」と呼ばれました。
文化も軍事も経済も、全部の分野で帝国を最盛期に導いた名君です。まさに王の中の王!
中には「えっ、それがあだ名⁉︎」と思うような、個性全開のスルタンたちもいます。人柄や趣味、性格からつけられたあだ名は、その人となりが透けて見えてくるようで楽しいんです。
ムラト4世(在位:1623 - 1640)は、アルコールやタバコ、カフェを禁止したことで有名。そのため「禁酒王」とも呼ばれますが、実は本人がめちゃくちゃ酒飲みだったという説もあるんです。
自分は飲みつつ禁酒令を出すという矛盾っぷり…だけど治世自体は割と優秀だったのがまた面白いところ。
マフムト2世(1808 – 1839)は、「西洋化の父」とか「帝国のモダンマン」とも呼ばれています。
洋装にヒゲ、ヨーロッパ風の官僚制度を取り入れたりと、古臭くなっていたオスマン帝国を強引にリフレッシュ。 オスマン帝国の近代化を推し進めた功績があります。
でもそれゆえに伝統派からは「西洋かぶれ」なんて呼ばれてめちゃくちゃ嫌われてました。
偉大な王たちがいる一方で、時代の波に翻弄されたり、ちょっと気の毒な扱いをされた皇帝もいます。彼らの別名には、どこか哀愁や皮肉が漂っているんです。
イブラヒム1世(在位:1640–1648)はオスマン帝国第18代スルタンで、「狂人皇帝」と呼ばれました。
長年の幽閉生活によるストレスもあってか、即位後は精神が不安定に。浪費や暴君的な振る舞いが続いた末、最終的には家族に廃位されるという悲しい末路に…。
可哀想な生い立ちではあるけど、彼が「ヤバい人」だったのは間違いなさそうです。
アブデュルハミト2世(在位:1876–1909)は専制的統治と近代化政策で知られた皇帝です。憲法停止後は秘密警察を用いた弾圧体制を築き、反乱や異民族運動を厳しく鎮圧。
特にアルメニア人弾圧(1894–96)は多くの犠牲を出し、「赤い流血の皇帝(The Red Sultan)」と呼ばれる要因になりました。
オスマン帝国のスルタンたちは、ただの“王様”じゃなく、それぞれに濃すぎる個性と物語を持っていました。
そのあだ名を通して見ると、歴史が一気に“人間くさく”感じられて面白いんですよね。