
世界がガラリと変わった20世紀初頭。実はこの時期、地図の上でとんでもない入れ替わりが起きていました。
え? 全然関係ないだろうって?
いえいえ、じつはこの「オスマン帝国の終わり」と「ソ連の始まり」には、ちょっと驚くような意外な接点があるんです。
この記事では、そのふたつの巨大な出来事がどんなふうに時代の裏でつながっていたのかを、分かりやすくひも解いていきます!
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まず前提として知っておいてほしいのは、オスマン帝国とロシア帝国は長年のライバルだったということ。
黒海周辺、バルカン半島、コーカサス地域をめぐって、何度も何度も戦争をしてきたんです。
オスマン帝国はイスラム教スンニ派の代表的存在、ロシアは正教会の保護者。
宗教的なライバル関係もありましたが、それ以上に大きかったのがバルカン半島と中東への野心。
特にロシアは「南下政策」を掲げて、黒海や地中海方面への進出を目指していたので、オスマン帝国とはガチガチにぶつかっていたんです。
オスマン帝国とロシアには、以下のように何世紀にもわたり、バチバチに戦ってきた歴史がありました。
つまり、オスマン帝国にとってロシアは長年の宿敵。でもそのロシアも、ある日突然「帝政」が崩壊してしまいます。
運命のタイミング、それが第一次世界大戦でした。ここで、オスマン帝国もロシア帝国も、それぞれ致命的なダメージを受けて崩壊していくんです。
1917年、ロシアで二月革命→十月革命が起きて、ロマノフ王朝は終焉。
そのあとを継いでできたのが、世界初の社会主義国家ソビエト連邦(ソ連)でした。
つまり、帝政ロシアが消えて、共産主義の国が登場したという大転換だったわけです。
オスマン帝国はドイツ側で参戦した結果、大戦に敗北。
その後は連合国に領土を分割され、国内ではトルコ独立戦争が勃発。
1922年にスルタン制が廃止され、翌1923年にトルコ共和国が誕生します。
つまり、こっちも帝政が崩れて新しい国家ができたんですね。
さて、ここからが本題の「意外な関係」です。
なんと、ロシア帝国時代に敵同士だったはずの国が、ソ連になったとたん、トルコの味方になるんです。
ソ連も、トルコ(オスマン帝国の後継)も、イギリスやフランスなどの西側列強に脅かされていた立場でした。
そこで「敵の敵は味方」理論が発動して、両国は接近。
トルコ独立戦争では、ソ連がムスタファ・ケマル率いるトルコ側に武器や資金を援助するという、びっくりの展開になります。
両国は「カールス条約」を結んで、国境を再調整し、お互いに独立を認め合います。
つまり、かつての「オスマンvsロシア」という構図は、ソ連とトルコ共和国の時代には「反帝国主義の仲間」として再構築されていったわけなんです。
オスマン帝国とロシア帝国――宿命のライバルだった2つの帝国が、第一次世界大戦をきっかけに同時に崩壊。
でも、そこから生まれたソ連とトルコ共和国は、今度は不思議な“同志関係”へと進んでいきます。
敵だった国が味方になる…そんな歴史のねじれ、けっこう面白いですよね。