
15世紀の中ごろ、世界の流れをガラッと変えるような出来事が立て続けに起こるんです。その中でも特に重要なのが、オスマン帝国によるビザンツ帝国(東ローマ帝国)の征服と、ヨーロッパによる大航海時代のスタート。この2つ、全然別の話に見えて、実はしっかりつながってるんです。以下でその理由を詳しく解説していきますね!
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まず、時系列をおさらいしてみましょう。
つまり、たった40年くらいの差しかありません。
この短い間にヨーロッパの人たちが「船で世界に出よう!」ってなった背景に、オスマン帝国の動きが大きく関わっていたんです。
中世のヨーロッパって、アジアの香辛料や絹にめちゃくちゃ依存してたんです。
それらを運んできていたのが、ビザンツ帝国を通る陸路のシルクロードや、地中海の貿易ルートでした。
でも、それをオスマン帝国がビザンツを倒して支配し始めると、「あれ?アジアのモノが入りにくくなってる…」って事態に。
ヨーロッパの商人たちは、オスマンの関税や通行料に困り始めます。「前より通し賃が高くなってるじゃん!」ってね。
これが、「じゃあもう、別の道でアジアに行った方が早くない?」って発想につながっていくわけです。
地中海貿易でメシを食ってたイタリアの港町たちも、オスマンの勢力拡大でジリジリしてました。
これまで自分たちが握ってた中継地としての優位性が、少しずつ崩れていく…。
「ヤバい、今のままじゃ他の国に抜かれるぞ」ってことで、ポルトガルやスペインが海へと乗り出すモチベーションも、実はここにあるんです。
オスマン帝国がビザンツを征服したことで、ヨーロッパの人々は、従来の「東へ東へ」という動きがしにくくなりました。
でもその“行き止まり”が、結果的に「じゃあ西へ行こう!」っていう逆転の発想を生むことになります。
これがその後のコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランといった大航海時代の「英雄」を生み出す流れにつながっていくんですね。
実際、コロンブスも「東への道がダメなら、西回りでインドに行けないかな?」っていう発想で出発してます。
つまり、オスマン帝国が東への陸の道をふさいだからこそ、“地球をぐるっと回る”っていう新しいアイディアが現実味を帯びてきたんです。
こうしてヨーロッパの視線が海に向くことで、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカが一気に“つながる”世界になっていきます。
つまり、ビザンツの滅亡とオスマンの台頭が、「近代世界のはじまり」に間接的だけど深く関わっていたってことなんですね。
オスマン帝国によるビザンツ帝国の征服と、大航海時代の開幕は、ただの歴史の並びじゃありません。
「陸の道がふさがれたから、海の道が開かれた」――そんな因果関係が、ヨーロッパの歴史を大きく動かしたんです。
結果として、オスマンの勝利が、世界をぐるっと巻き込む“グローバルな時代”の扉を開くことになったんですね。