オスマン帝国が勢力を拡大していく中で、周辺の国々は次々と飲み込まれたり、実質的に従属させられたりしていきました。
その中には、名のある王国や帝国も多数存在しています。
ここでは、オスマン帝国が滅ぼした(もしくは支配を確立した)代表的な国々を一覧で紹介しつつ、簡単な背景も添えて解説していきます!
バルカン半島
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
- 滅亡年:1453年
- 滅亡のきっかけ:コンスタンティノープル陥落(メフメト2世による)
- 影響:オスマン帝国最大の「宿敵」であり、古代ローマの後継国家。陥落によって中世ヨーロッパの終焉と近代の始まりが象徴されます。
セルビア王国(中世セルビア)
- 実質滅亡年:1459年(スメデレヴォ陥落)
- 滅亡のきっかけ:コソヴォの戦い(1389)の敗北後、長期にわたる従属と侵略
- 影響:バルカン半島のキリスト教勢力として奮闘したが、オスマンの拡大に抗えず。
ブルガリア第二帝国
- 滅亡年:1396年(ニコポリスの戦いの後)
- 滅亡のきっかけ:バヤズィト1世による征服
- 影響:バルカン諸国の中でもかなり早くに併合され、オスマンのヨーロッパ支配のはじまりに貢献した地域。
ハンガリー王国(中世王国として)
- 実質崩壊年:1526年(モハーチの戦い)
- 滅亡のきっかけ:スレイマン1世による圧勝と国王ルイ2世の戦死
- 影響:戦後、ハンガリーは西部がハプスブルク、中央部がオスマン、東部がトランシルヴァニアへと三分裂。
アナトリア(小アジア)
カラマン侯国(トルコ系アナトリア諸侯)
- 滅亡年:1487年(最終的な併合)
- 滅亡のきっかけ:長年の抗争の末、バヤズィト2世が完全制圧
- 影響:アナトリア統一における最後の壁のひとつ。オスマンのトルコ内支配完成に重要。
ドゥルカディル侯国(ヒッタイト地方)
- 滅亡年:1515年
- 滅亡のきっかけ:セリム1世による吸収
- 影響:アナトリア・シリア境界の重要な緩衝地帯。マムルークとの戦争直前に確保。
トレビゾンド帝国(東ローマ系小国家)
- 滅亡年:1461年
- 滅亡のきっかけ:メフメト2世による黒海制圧戦
- 影響:東ローマ帝国の“残党”的存在。滅亡で、ビザンツ文化の名残は完全に消滅へ。
中東・中央アジア
マムルーク朝(エジプト・シリア)
- 滅亡年:1517年
- 滅亡のきっかけ:セリム1世によるマルジュ・ダービク→リダーニーヤの連戦
- 影響:この征服によって、オスマンはメッカとメディナを支配し、イスラーム世界の精神的支配者に。
ナクシュバンディー・シャイバーニー朝(中央アジア方面)
- 完全滅亡ではないが、一部地域を制圧
- 影響:サファヴィー朝と並行して争い、東の境界を安定化させるための戦線。
その他:小国家・侯国・都市国家など
- アク・コユンル朝(白羊朝):1500年代に併合
- カンドゥール侯国、エルズルム侯国など:15世紀末までにほぼ併合
- クレタ島のヴェネツィア支配:1669年に完全征服
- キプロス王国(ヴェネツィア領):1571年に征服(ただし後に一時失陥)
オスマン帝国が滅ぼした国々は、ビザンツのような古代の大帝国から、バルカン・中東・アナトリアの地域政権までさまざまでした。
これらを吸収していく中で、オスマンは単なるトルコ系国家から多民族・多宗教の“超帝国”へと進化していったんです。
征服のたびに「地図が変わる」――そんなダイナミックな時代だったんですね。