
16世紀、地中海をめぐってキリスト教世界とイスラーム世界が真っ向からぶつかる大勝負がありました。それが1538年のプレヴェザの海戦。オスマン帝国の艦隊と、スペイン・ヴェネツィア・教皇庁などの連合軍――つまり「キリスト教側の無敵艦隊」が戦ったんです。
でも結果はというと、オスマン帝国の圧勝。しかも相手はヨーロッパの精鋭たちだったのに!
この勝利のカギは、海戦の経験値と機動力、そして圧倒的な指揮官の差にありました。以下でその秘密を見ていきましょう!
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この戦いは、現在のギリシャ西岸・イオニア海のプレヴェザ沖で行われた海戦です。
ヨーロッパ側は「オスマン帝国を地中海から叩き出せ!」って気合を入れて、スペイン・ヴェネツィア・教皇庁・マルタ騎士団などが連合艦隊を組みました。指揮官はあのアンドレア・ドーリア。当時の地中海では超有名な海の男です。
一方オスマン帝国側の指揮官は、伝説の海賊にして提督のハイレッディン・バルバロス。この2人のぶつかり合いが、歴史に残る大海戦を生んだんです。
このころオスマン帝国は、地中海でもどんどん影響力を広げていました。特にチュニジアやアルジェリアといった北アフリカ沿岸を抑えて、海の支配権を握ろうとしていたんです。
それに危機感を持ったヨーロッパ側が、「今のうちにオスマンを止めておこう!」と動き出して、この戦いになったんですね。
数ではヨーロッパ連合艦隊の方が上回っていました。船の数も、兵の数も、多かったのは間違いありません。
それでもオスマン帝国が勝てたのは、海での戦い方をよく知っていて、地形と風を最大限に利用できたからなんです。
オスマン帝国側を率いたバルバロスは、元・海賊出身で、地中海の海を知り尽くしていた人物。
彼はプレヴェザ沖の地形と風向きを完全に把握していて、不利なはずの海域で、機動力を活かした戦法で挑んだんです。
ヨーロッパ側が大型のガレー船をズラッと並べていたのに対して、オスマン艦隊は小回りのきく船でぐいぐい動き回りながら攻撃して、じわじわと相手を崩していきました。
連合艦隊を指揮していたアンドレア・ドーリアは、たしかに経験豊富な名提督でした。でも、彼にはちょっとややこしい背景が…。
実は彼の出身はジェノヴァで、連合艦隊の中にはライバルだったヴェネツィアの艦船もいっぱいあったんです。
そのせいか「本気で指揮してなかったのでは?」とか「わざと動きを遅らせた?」なんて噂もあるほど。
バルバロスが大胆な戦術を使う一方で、ドーリアはかなり慎重だったのが、結果的に明暗を分けました。
プレヴェザの海戦での勝利は、オスマン帝国にとって地中海の制海権をガッチリ握るきっかけになりました。
このあとしばらくのあいだ、地中海の西側でも東側でも、オスマンの艦隊が最強と認識されるようになります。
この戦いのあと、ヨーロッパ側は「もうしばらく海では勝てないかも…」って空気になりました。
実際、レパントの海戦(1571年)まで、オスマンは海でほとんど無敵状態だったんです。
プレヴェザはその“オスマンの海洋時代”の始まりを告げる、まさに歴史的な戦いでした。
プレヴェザの海戦でオスマン帝国が無敵艦隊に勝てた理由は、バルバロス提督の卓越した戦術と、地形・風・船の機動力をフルに活かした動きにありました。
数や装備で勝っていても、連携がうまくいかなかったヨーロッパ側に対して、オスマン艦隊はまるで海と一体になっているかのように戦ったんです。
この勝利は、オスマン帝国が「陸だけじゃなく、海でも最強」と世界に見せつけた瞬間でした。