
「壮麗王」として知られるスレイマン1世
オスマン帝国が領土・文化・法制すべてにおいて輝いた“黄金期”の皇帝
出典:Kunsthistorisches Museum Wien / Wikimedia Commons Public domainより
600年以上続いたオスマン帝国には、数多くの皇帝(スルタン)がいました。中には「えっ、その政策ヤバくない!?」ってレベルの暴君もいましたが、一方で“帝国を発展させた名君”もちゃんといます。
今回は、その中でも特に知名度・功績・影響力の三拍子がそろった名君ベスト3を、順位形式で紹介します!
迷ったらこの人!というくらい、オスマン帝国の絶頂期を象徴する名君。
ヨーロッパでは“スレイマン・ザ・マグニフィセント(壮麗王)”と呼ばれ、イスラム世界では“カーヌーニー(法の人)”と称されました。
戦でも政治でも文化でも最強。 もはや「最強すぎて後が辛い」レベルの王様です。
「オスマン帝国が世界帝国になった瞬間」を作ったのがこの人。
1453年、コンスタンティノープルを陥落させ、東ローマ帝国を終焉に導いた伝説の若きスルタンです。
政治と軍事だけでなく、知的探求心も旺盛だったこの若き王は、“征服王(ファーティフ)”の異名にふさわしい人物でした。
軍事拡張は控えめだったものの、帝国内の安定化と人道的政策で評価される「静かな名君」。
メフメト2世の息子として、強権型の父の後を継ぎながら、“穏やかに帝国を整える”ことに成功した人物です。
「戦って勝つ王」ではなく、“国を守り、育てた王”として評価が高い名君です。
スレイマン1世の黄金期を作った「拡張王」、メフメト2世の“始まりを決めた征服王”、バヤズィト2世の“守りと慈悲の王”。
それぞれがオスマン帝国の別の強さを象徴しています。
“名君”とは、戦うだけじゃなく、帝国を育てる視点を持っていた人たちなんですね。