
15世紀の終わりごろ、世界の「経済の流れ」にガツンと衝撃を与える出来事が起こります。
それが、オスマン帝国の台頭と、それに続く東方貿易の衰退そしてその影響でヨーロッパが本気になって始めたのが、あの有名な大航海時代なんです。
この3つの流れ、一見バラバラに見えて、実はめちゃくちゃ深くつながってるんですよ。
ではどうつながっていたのか?順を追って見ていきましょう!
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15世紀中ごろ、オスマン帝国はどんどん勢力を伸ばしていき、ついに1453年にビザンツ帝国(東ローマ)を滅ぼしてコンスタンティノープルを征服します。
ここから東西貿易の要所が完全にオスマンの支配下に置かれることになったんですね。
コンスタンティノープルやアレッポ、カイロといった都市は、アジアからの香辛料や絹をヨーロッパへ送るルートの中継地でした。
そこをオスマン帝国が抑えることで、「貿易するならウチを通れ」という立場を確立したわけです。
オスマンは「自由に貿易していいよ」なんて甘いことは言いません。
ヨーロッパ商人たちは、高い関税を払ってルートを使わせてもらうか、ルートそのものを諦めるしかなくなります。
結果、これまで活発だった東方貿易が急ブレーキをかけられることに。
貿易ルートを支配され、香辛料が高くて手が出ない…そんなヨーロッパ商人たちが次に考えたのが、「じゃあ海からアジアへ行って、自分たちで香辛料を買いに行こう!」という発想だったんです。
特に先頭に立ったのがポルトガル。
航海技術や羅針盤の発展を背景に、アフリカ沿岸を南下してインド洋へ抜けるルートを開拓し始めました。
そして1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開通。これは完全に「オスマン抜きの貿易ルート」です。
一方のスペインは西回りに賭けてコロンブスを派遣(1492年)。
結果としてアメリカ大陸に“発見”という大事件を起こしますが、これもまた、「東へ行きたい」という欲望から始まった冒険でした。
オスマン帝国によって陸上ルートが高コスト化・危険化したことは、ヨーロッパの海洋進出を後押しします。
これが、15世紀末から始まる「大航海時代」という世界史的大転換につながっていくんです。
オスマン帝国にとっては、ただ国境を広げて「経済権益を握った」つもりだったかもしれません。
でも、その“支配”がヨーロッパのやる気に火をつけてしまったというのは、なんとも皮肉な展開ですよね。
皮肉なことに、オスマン帝国が陸の貿易ルートを抑えた結果、「海からアジアへ」という新たな道が生まれ、そこから植民地時代・帝国主義・世界資本主義へと歴史が大きく動いていくわけです。
もしかすると、オスマン帝国の拡大と東方貿易の支配こそが、現代のグローバル経済のスタート地点だったのかもしれません。
オスマン帝国の台頭 → 東方貿易の衰退 → 大航海時代の幕開け――
この流れは、まるで「ひとつの扉が閉まって、別の扉が開いた」かのよう。
オスマン帝国は貿易の主導権を握ったつもりが、結果的に海の時代の幕を引き寄せる引き金となってしまったんです。
歴史って、ほんとに面白いですよね。