
オスマン帝国とかいうやばい国。なんでそんな言い方になるの?と思うかもしれませんが、いや本当にいろんな意味で“やばい”んです。強すぎる、長すぎる、デカすぎる、そして最後までドラマチックすぎる……。
ここではそんな「やばさ」を3つの視点から掘り下げていきます。知れば知るほど、オスマン帝国が歴史においてどれだけ異質でスゴかったのかが見えてきますよ。
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小さな一族から始まったはずのオスマン帝国が、あっという間に世界屈指の大帝国になっていく流れ、そのスピード感がまずやばいんです。そして、拡大の過程には数々の伝説や、他国からしたらホラーのような快進撃が詰まっています。
オスマン帝国のスタートは、13世紀末のアナトリアの片隅。創始者オスマン1世の時代は、ほんの一地方の小国家でした。それがわずか100年ほどでコンスタンティノープル(ビザンツ帝国の首都)を落とし、東ローマ帝国を滅ぼすという偉業を達成してしまうんです。急成長すぎて他国がついてこれないレベルです。
ヨーロッパにも、アジアにも、アフリカにも広がっていたオスマン帝国。最盛期には現在の40カ国以上にまたがる広大な領土を支配していました。しかも海も強くて、地中海・紅海・黒海をまたいだ制海権まで持っていたんです。こんなバランス良く拡大した帝国、なかなか無いです。
「帝国」って聞くと堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、オスマン帝国の中身を見てみると、想像以上に緻密でユニーク。特に統治の方法や軍事制度なんかは、「よくこんなこと考えついたな」って感心するレベルです。
オスマン帝国はイスラム国家でしたが、他宗教に対して排除的ではなく、キリスト教徒やユダヤ教徒などを「ミッレト」と呼ばれる宗教共同体に分けて、それぞれ自治を認めていました。こうすることで大規模な宗教対立を回避しつつ、税金だけはしっかりもらうという、かなりスマートな支配体制だったんです。
イェニチェリという軍団は、バルカン地方のキリスト教徒の子どもを徴用して育成されたエリート部隊。つまり、元は奴隷。でも教育と訓練を重ねていくことで、皇帝直属の最強精鋭部隊に仕上がっていくんです。この「人材再生工場」みたいな制度、当時の常識では考えられないものでした。
600年以上も続いた大帝国が、たった数十年で一気に崩れていく。その過程がもう、映画の脚本にしてもいいくらいドラマチック。そして、帝国の終焉が世界に与えた影響もハンパじゃないんです。
19世紀になると「ヨーロッパの病人」とまで揶揄されるようになったオスマン帝国。でもそこから一気に崩壊、とはいかず、外交や改革を駆使して100年近く粘り続けたんです。植民地化されることもなく、なんだかんだで独立を保っていたのは本当にすごいことなんですよ。
最終的な決定打は第一次世界大戦への参戦。敗戦国となったことで領土を失い、ついには1922年にスルタン制が廃止され、帝国は正式に終わります。そしてその翌年、トルコ共和国が誕生。まさに王朝から近代国家への劇的な転換だったんです。
オスマン帝国は、強さもシステムも終わり方も、何もかもが“規格外”な存在でした。
600年以上にわたってユーラシアの中心で君臨し続けたこの帝国の“やばさ”、少しでも伝わったでしょうか?