オスマン帝国軍楽隊「メフテル」の起源と歴史

オスマン帝国といえば、軍事的な強さもさることながら、戦場でド迫力の音を響かせて進軍する「軍楽隊」=メフテルの存在も外せません!
実はこのメフテル(Mehter)、世界最古の軍楽隊とも言われていて、単なるBGMじゃなくて「心理戦の武器」でもあり、帝国の誇り」でもあったんです。
今回はそんなオスマン帝国のメフテルの起源・進化・そして復活の物語をたっぷり紹介していきます!

 

 

メフテルの起源はどこから?

「メフテルって、オスマン帝国が自分で発明したの?」って思いがちですが、実はもっとルーツは深いんです。

 

源流はセルジューク朝の儀式音楽

メフテルの原型は、トルコ系遊牧民の軍事文化にさかのぼります。
特にセルジューク朝では、スルタンが軍を動かす際に太鼓や金属打楽器で進軍のリズムを刻む文化がすでにありました。
これがオスマン朝に引き継がれ、より制度化され、演出力が強化された形で整っていきます。

 

建国期からメフテル隊は存在していた

13世紀末〜14世紀初頭のオスマン帝国初期、スルタン・オルハンの時代にはすでにメフテル隊が整備されていたという記録も残っていて、彼らは軍の士気を上げ、敵を威圧する音楽部隊として定着していきました。

 

メフテル隊は何をしていたの?

「音楽隊」と聞くと平和なイメージですが、オスマン帝国におけるメフテル隊は立派な“軍事組織”だったんです。

 

戦場で「音」で士気と統率をサポート

メフテル隊は、進軍中や戦闘前に巨大な太鼓(クードゥム)、シンバル(ジル)、ズルナ(オーボエのような木管)を演奏し、その爆音によって味方の士気を鼓舞し、敵の心理を揺さぶる役割を担っていました。
つまり、「軍楽隊」というより、戦争のリズム隊+心理兵器なんですね。

 

スルタンの“威光”を示す存在でもあった

メフテルの演奏は宮廷の式典・大使の謁見・勝利の凱旋などでも使われ、そこでは「スルタンの権威の象徴」として金ぴかの衣装と巨大な楽器で目立ちまくります。
一種の政治的なパフォーマンス装置でもあったんですね。

 

衰退と消滅、そして“奇跡の復活”

そんな輝かしいメフテルですが、近代化の波の中で一度姿を消してしまうことになります。

 

西洋化とともに“古臭い”とされ廃止に

19世紀、オスマン帝国が軍制改革(特に西洋式の近代軍隊化)を進める中で、メフテルは「旧時代の象徴」として次第に敬遠されていきます。
そして1826年のイェニチェリ解体(ヴァカ=イ・ハイルィエ)とともに、メフテル隊も正式に解散させられてしまうんです。

 

でも20世紀に“文化遺産”として復活!

その後、共和制時代のトルコで伝統文化の再評価が進むと、1950年代にトルコ軍博物館(イスタンブール)の付属組織として「メフテル・タカイェ(Mehter Takımı)」が復活!
今ではトルコ国内外で歴史的パレードや式典に参加するなど、“国家的伝統芸能”として親しまれています。

 

メフテルは、単なる音楽隊じゃなく、オスマン帝国の軍事・文化・権威を音で体現した存在でした。
そのリズムは、味方には勇気を、敵には恐怖を与える“戦場のサウンドトラック”。
そして一度は消えたけど、今もトルコの歴史と誇りの象徴として力強く復活しているんです。