オスマン帝国でジズヤ(人頭税)が廃止された理由とは?

オスマン帝国では、ムスリム(イスラーム教徒)以外の住民に課されるジズヤ(人頭税)が長いこと当たり前のように存在していました。
でも、時代が下るにつれて「あれ、これって不平等じゃない?」って空気が国内外で強まっていき、最終的にこの制度は廃止されることになります
では、ジズヤはなぜ必要とされ、そしてなぜ廃止されたのか?――その背景をわかりやすく解説していきます!

 

 

ジズヤってそもそも何?どんな意味があったの?

ジズヤ(jizya)は、イスラーム国家における非ムスリム(ズィンミー)に対する人頭税のこと。
オスマン帝国では、キリスト教徒やユダヤ教徒などに対して課されていて、これはイスラーム法に基づいた正統な制度とされていました。

 

ジズヤ=“保護と引き換えの税”

この税を払う代わりに、非ムスリムは

 

  • 信仰を守ってOK
  • 軍役免除(兵士にならなくていい)
  • 行政の保護下にある

 

という一定の権利と安全が与えられていたんです。
つまり「払ってくれれば、ムスリム社会の中で共存していいよ」という“共生のルール”だったわけですね。

 

じゃあ、なぜ廃止されたの?

1856年、オスマン帝国はタンジマート(近代化改革)の一環として、ジズヤを正式に廃止します。
その背景には、国内外からの強い政治的・思想的なプレッシャーがあったんです。

 

① 近代国家として“不平等な税制”はもう無理

19世紀に入り、オスマン帝国も西洋型の近代国家づくりを目指していました。
そんな中で、「宗教によって税金が違う」っていう制度はどうしても“時代遅れ”と見なされるようになります。

 

  • フランス革命の影響で平等思想が拡大
  • 国民統合には宗教に関係ない共通の法制度が必要だった

 

② 欧米列強からの強烈な圧力

とくにイギリスやフランスは、オスマン領内のキリスト教徒(特にアルメニア人やギリシャ人)の保護を名目に、「ジズヤは差別的だ」「宗教的自由をもっと保障せよ」と強く干渉してきました

 

  • 「税制を平等にしないと、経済援助しないよ」
  • 「貿易優遇が欲しいなら、制度を改めてね」

 

こうした外交カードとしての圧力が、制度の見直しを後押ししたんですね。

 

③ 国内のムスリム・非ムスリムのバランス悪化

19世紀になると、非ムスリム(特にギリシャ系、アルメニア系)の中に経済的に成功する人が増えていきます。
一方で、ムスリムはジズヤを免除されていても、軍役や他の義務が重くなっていく傾向に。

 

結果として

 

  • 「オレら軍役やらされてるのに、あいつら金だけで済んでてズルくない!?」
  • 「ジズヤ払ってるだけで保護されるって、おかしくない!?」

 

と、ムスリム側からも不満が出るように。

 

じゃあ、ジズヤの代わりに何が導入されたの?

ジズヤ廃止とセットで導入されたのが、一般税制の統一化兵役義務の拡大です。

 

非ムスリムも共通の納税義務へ

宗教に関係なく、財産や所得に応じた課税が導入され、ムスリムも非ムスリムも、同じ「国家の一員」として税を負担するようになります。

 

軍役の代替金(ベデル)制度

とはいえ、当時の非ムスリムが突然「兵役行け」って言われても無理がある。
なのでベデル=軍役を免除するための“代替金”制度が整備され、一定の金額を払えば、兵役を回避できるシステムが導入されました。

 

ジズヤ(人頭税)の廃止は、オスマン帝国が“宗教共同体の帝国”から“近代国民国家”へと変わろうとした象徴的な出来事でした。
西洋化・平等化の波に押される中、ジズヤのような“中世的な制度”は、もはや維持できなかったんです。
でもその代わりに、新たな不満や制度矛盾が生まれていく――そんな時代の過渡期だったとも言えますね。