チューリップ時代の由来は?いつからいつまでなの?

18世紀のはじめ、オスマン帝国にちょっと変わった時代がありました。戦争ばかりしていた国が、急に「おしゃれ」とか「文化」に目覚めたような、不思議な空気に包まれたんです。しかもその時代、なぜかチューリップが大流行。今でいうと、SNSで急に流行るスイーツとかファッションみたいな感覚かもしれませんね。
その華やかで短い12年間が、「チューリップ時代」と呼ばれる理由なんです。

 

 

チューリップ時代ってどんな時代だったの?

「チューリップ時代」って聞いても、最初はピンとこないかもしれませんね。でも実はこれ、戦争がいったん終わって、国全体がちょっとホッとしたときに生まれた文化の時代なんです。
この時期のオスマン帝国は、戦いよりも「美しいもの」「楽しいこと」に目を向け始めました。上の人たちはヨーロッパの文化に興味を持ち始めて、おしゃれな建物を建てたり、本を刷ったり、お庭にこだわったり…。なんだか、ちょっと夢みたいな時代だったんですね。

 

どうして「チューリップ時代」って呼ばれるの?

この時代、びっくりするくらいチューリップの花が大人気だったんです。
ただ「きれいだから流行った」ってだけじゃなくて、特別な品種の球根はお金持ちたちのあいだでコレクションの対象になって、高〜いお金で取り引きされたりしてました。
詩や絵の中にもチューリップがよく登場していて、「チューリップ=センスのいい象徴」みたいな存在だったんですね。
つまりこの時代、「チューリップが流行りすぎたから」っていうのが、そのまま名前の由来になってるんです。

 

いつからいつまでの時代なの?

このチューリップ時代は、1718年から1730年までの12年間を指します。
はじまりは、オーストリアとの間でパッサロヴィッツ条約っていう平和条約を結んだタイミングです。戦争がひとまず終わって、国の空気がガラッと変わったんですね。
でも、それが続いたのはほんのわずか。1730年パトロナ・ハリルの反乱っていう大きな騒動が起きて、ぜいたくしてたスルタンやお金持ちたちが一気に非難されることに。
こうして、チューリップ時代はあっという間に終わっちゃいました。

 

文化の花が咲いた、ほんの一瞬の平和

この12年間、オスマン帝国の中では文化や技術がグッと進みました。戦争を一旦ストップして、いろんなことにチャレンジできる余裕があったんですね。とくに西洋の文化への関心が高まって、「あっちの国っておもしろそう!」っていう雰囲気が強くなっていきました。

 

ヨーロッパのマネごと?いいえ、本気でした

このころのオスマン帝国は、フランスの文化にすごく憧れていたんです。
実際にフランスへ使節を送り、建築様式やファッション、印刷の技術まで学んで取り入れました。
イスタンブールの町にはバロック風の噴水やお庭が作られたりして、まるでヨーロッパの都市みたいになっていったんです。
言ってしまえば、「海外っぽい暮らし」がちょっとしたブームだったわけですね。

 

でも…庶民は全然楽しめてなかった

このキラキラした時代を楽しんでたのは、ごく限られた貴族や官僚たちだけ。
実は物価が上がったり、税金が重くなったりして、ふつうの人たちはけっこうしんどかったんです。
「花よりパン」って言いたくなるような状況で、「チューリップ?そんなもんより、生活どうにかしてよ!」って声がどんどん大きくなっていきました。
そして最後は、その不満が爆発して、時代そのものが終わってしまったんです。

 

チューリップ時代は、戦争がひと休みしたあとの、オスマン帝国のちょっとした“文化のお祭り”みたいな時期でした。
チューリップっていう花を通して、西洋文化へのあこがれや、ぜいたくな暮らしが広がっていったんです。
でもそのキラキラの裏で、庶民は取り残されていた――そんなバランスの悪さが、時代の幕を下ろすきっかけになりました。
たった12年の短い時間だけど、今でも「美と憧れと限界」が詰まった特別な時代として語られています。