
19世紀はじめ、オスマン帝国の支配下にあったギリシャで「自由を取り戻したい!」という声が一気に高まり、ギリシャ独立戦争(1821〜1830年)が勃発します。
この戦い、ギリシャ側にはイギリス・フランス・ロシアといったヨーロッパの大国が味方についたことで有名ですが、「じゃあオスマン帝国側には誰が味方してたの?」って、あまり語られないですよね。
でもちゃんと支援していた国があるんです。以下でくわしく解説していきますね!
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ギリシャは数百年にわたってオスマン帝国に支配されていたけど、19世紀に入ってナショナリズムの波が広がる中、「独立した国家を作りたい!」という動きが一気に高まります。
このときヨーロッパの世論も「古代ギリシャ=文明の母」ってイメージが強くて、オスマン帝国=“抑圧する側”としてバッシングされていきました。
イギリス・フランス・ロシアは、当初は静観していたものの、最終的にはギリシャ支援に回ります。
特にロシアは「正教徒の守護者」という立場からも、ギリシャの独立を後押ししたかったんですね。 この支援が決定的になったのが、1827年のナヴァリノの海戦でした。
実はオスマン帝国がこの戦争で一番頼りにしていたのは、エジプトの総督ムハンマド・アリーでした。
当時、エジプトは形式上オスマン帝国の一部だったけど、実際にはかなり独立色の強い地方政権で、軍事力も抜群。
スルタン・マフムト2世は、「このままじゃ独立されちゃう!」ってことで、エジプトに支援を要請したんです。
ムハンマド・アリーは「助けるのはいいけど、見返りちょうだいね」ってタイプ。
彼はギリシャでの戦いに自分の息子・イブラヒム・パシャを派遣し、ギリシャ南部でバリバリ軍事作戦を展開します。
支援の条件として、クレタ島やモレア半島の支配権を要求していたと言われています。
当時のオスマン正規軍よりも訓練された近代的なエジプト軍は、ギリシャ各地で反乱軍を圧倒。
実際、1825〜1826年ごろの戦局は完全にオスマン・エジプト連合が有利になっていました。
エジプトの軍事支援があったにもかかわらず、ギリシャは最終的に独立を果たします。その背景には大国の政治力と世論の後押しがありました。
1827年、イギリス・フランス・ロシアの連合艦隊が、ギリシャ沖のナヴァリノ港でオスマン・エジプト艦隊を奇襲。
この戦いでオスマン側の艦隊は壊滅し、戦局が完全にひっくり返ります。 この海戦が、ギリシャ独立の「ほぼ確定ルート」になったんです。
ロシアはこのあとオスマンに宣戦布告して露土戦争(1828-1829)を起こし、さらに圧力を強めます。
もはやギリシャを抑えるどころじゃなくなったオスマン帝国は、1830年にギリシャの独立を承認することになります。
ギリシャ独立戦争でオスマン帝国を支援した最大の存在は、他国ではなくエジプトのムハンマド・アリー政権でした。
息子イブラヒムの精鋭軍によって戦局は一時的にオスマン有利になったものの、ヨーロッパ列強の介入とナヴァリノの海戦で流れは一気に逆転。
最終的には支援の力も及ばず、ギリシャの独立は世界的な大きな潮流の中で実現してしまったんです。