「オスマン帝国の名君BEST3」、選ぶなら誰?
600年以上続いたオスマン帝国には、数多くの皇帝(スルタン)がいました。中には「えっ、その政策ヤバくない!?」ってレベルの暴君もいましたが、一方で

オスマン帝国の「始まり」に名前が挙がる人物は2人います――オスマン1世とオルハン1世です。 じゃあ、一体どちらが「本当の初代皇帝」なのか?解釈が分かれる理由と背景を見てみましょう!
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オスマン1世(在位:1299年ごろ〜1326年)は、帝国の名前の由来にもなった人物。 彼がビザンツ帝国から小さな土地を奪って独立し、やがて大帝国へと発展していくきっかけを作りました。
当時のオスマンは、正式にはまだ“ベイリク(首長領)”と呼ばれる小国でした。 つまり、「オスマン“帝国”」とはちょっと言いづらいフェーズだったんですね。 このため、「創始者だけど、皇帝ではない」と見る史学者もいます。
オルハン1世(在位:1326〜1362年)は、オスマン1世の息子。 父の遺した基盤を大きく拡大し、以下のような政策により、「帝国」としての姿を形にした人物とされています。
これらによって、「地方の首長」から「国家の支配者」へと進化したと言えるんです。
じゃあ、どっちが「初代皇帝」なの?――答えは定義次第で両方正解なんです。
彼の名が国名になるほどなので、創始者としての象徴的存在なのは間違いありません。 系図でも、すべてのスルタンは彼の血統を継ぐことになります。
実際に国家制度・軍制・貨幣制度を導入し、帝国としての形を整えたのはオルハン。 「皇帝」としてのスタイルを最初に取った、という意味では“実質的初代皇帝”と呼ぶにふさわしい存在なんです。
オスマン帝国には、“国を作った人”と“国を帝国にした人”という、2人の「初代」がいます。 オスマン1世とオルハン1世――この2人の父子がいたからこそ、後の大帝国が生まれたんですね。 まさに“始まりを二人で担った”歴史なんです。