オスマン帝国の「残酷」と評される慣習三選

オスマン帝国って、文化的で洗練されたイメージもある一方で、「えっ、それマジでやってたの!?」ってなるような残酷な慣習 もあったんです。
もちろん時代背景や宗教、政治的な事情も関係してるので、現代の価値観でそのままジャッジするのは難しいんですが……それにしてもインパクト強すぎる。
ここでは、そんな「残酷」とも言われるオスマン帝国の慣習を3つ紹介していきますね。

 

 

兄弟皆殺しの制度「王子殺し」

オスマン帝国で即位したスルタン(皇帝)が最初にやること――それが、自分の兄弟を全員始末することでした。
ちょっと信じがたいかもしれませんが、これは正式な制度として16世紀から公認されていたんです。

 

なぜそんなことを…?

理由はシンプルで、内戦を防ぐため
帝位継承に関する明確なルールがなかったオスマン帝国では、王子たちがスルタンの座を巡って争う可能性が常にあったんです。だから、「争いになる前に全部消す」という究極の予防策としてこの慣習が生まれました。

 

実行は“冷静に、粛々と”

王子たちは生まれた時点で将来のライバルと見なされ、宮廷内の管理下に置かれて育てられました。そして新しいスルタンが即位すると、絹の紐で首を絞めるという方法で静かに処刑されます。
これはイスラム教の教えに配慮して「血を流さない処刑」として選ばれた手段でした。…いや、優しさとは……?

 

ハレムの裏にあった“後宮政治”

華やかでミステリアスなイメージがあるハレム(後宮)ですが、そこには熾烈な女たちのサバイバルゲームが広がっていました。
王子殺しが男同士の継承争いなら、ハレムは母たちの代理戦争の舞台だったんです。

 

「皇子の母」こそが頂点

スルタンにはたくさんの側室がいて、それぞれの間に生まれた皇子たちが継承権を持ちます。
つまり、自分の息子が次のスルタンになるかどうかで、その母親の運命が天と地ほど変わるんです。
このため、毒殺・密告・陰謀なんでもアリの壮絶な権力闘争が繰り広げられました。

 

最終的には“母后政治”へ

中には、ヴァリデ・スルタン(スルタンの母)として実質的に国家運営を担うようになる女性も現れます。
それほどまでに、ハレムの内部抗争は国家そのものを左右する影響力を持っていたんです。
ただの恋愛ドラマでは終わらない、命をかけた政治の場だったんですね。

 

カフス制度という“宮廷幽閉”

王子殺しが残酷すぎると批判されるようになると、その代わりに導入されたのが「カフス制度」。 これもまた別の意味でかなりきつい慣習でした。

 

若い皇子を隔離して幽閉

新スルタンが即位すると、他の兄弟たちは宮廷内の一室に幽閉されることになります。
この「カフス(檻)」と呼ばれた生活では、外との接触がほとんど許されず、教育や訓練も中断。 数十年間をそこでひたすら待たされ、突然即位が決まるケースもありました。

 

心身ともに“壊れる”王子たち

実際にこの制度のもとで即位したスルタンの中には、社会経験がまるでなく、精神的に不安定な人物も多かったと言われています。
王子殺しを避けるための制度だったのに、結果的に統治能力に問題を抱える皇帝を生むという皮肉な副作用もあったんですね。

 

オスマン帝国の「残酷」と言われる慣習は、すべて帝国の安定を保つための合理的な仕組みとして存在していました。
だけど、その合理性が時に人間らしさや情を犠牲にするという、一種の怖さも内包していたんです。