メフメト6世は何した人?─「最後のスルタン」が亡命するまで

メフメト6世は何した人?

オスマン皇帝紹介・第36代スルタン《メフメト6世》編です。帝国崩壊の危機に即位し、連合軍占領と国民運動の狭間で揺れた末、1922年に廃位・亡命した「最後のスルタン」。その生涯や死因、性格や逸話、功績や影響を探って行きましょう。

第36代スルタン《メフメト6世》とは何した人?
─「最後のスルタン」が亡命するまで─

メフメト6世(Mehmed VI Vahideddin, 1861–1926)
出典:Anonymous court photographer / Wikimedia Commons Public domain

 

メフメト6世の基本情報
在位 1918年~1922年
出生 1861年1月14日
死去 1926年5月16日(イタリア亡命先にて)
異名 最後のスルタン

父:アブデュルメジト1世
母:ギュルヌス・ハヌム

兄弟 メフメト5世(異母兄)ほか
子供 エルトゥールル・オスマン、メフメト・エルトゥールル ほか
功績 第一次世界大戦後の帝国崩壊期に即位。セーヴル条約を受け入れたことで国民の支持を失い、1922年にスルタン制が廃止され亡命。オスマン帝国最後の君主となった。
先代 メフメト5世
次代 なし(スルタン制廃止)

 

第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ各国では王政が次々と崩壊──そんな歴史の荒波の中、オスマン帝国でも最後のスルタンが即位します。彼は時代の潮流に逆らえず、帝国とともにその王座を手放すことになるのです。

 

その人物こそがメフメト6世(1861 - 1926)

 

この記事では、オスマン帝国という巨大な国家の「最終章」を見届けた最後の皇帝・メフメト6世の数奇な運命を、わかりやすくかみ砕いて解説します。

 

 

 

生涯と死因

メフメト6世の人生は、「帝国の終わりを見届けたスルタン」として、まさに時代の節目を象徴するものでした。

 

兄の死を受けて即位

彼はアブデュルメジト1世の孫で、1918年に兄メフメト5世の死によりスルタンの座に就きました。しかしそのとき帝国はすでに第一次世界大戦の敗戦によって、事実上分割占領されつつある状態。即位の瞬間から“王冠の火種”を背負ったような治世のスタートでした。

 

廃位後、イタリアで死去

1922年、トルコ大国民議会(アンカラ政権)によってスルタン制が正式に廃止され、彼はオスマン最後の皇帝として退位。マルタを経てイタリアに亡命し、1926年にサンレモで死去。享年65歳。王冠とともに、祖国にも二度と戻れなかった人生でした。

 

性格と逸話

メフメト6世は、内向的で宗教心の強いスルタン。冷静な判断よりも感情的な振る舞いが目立ったとも言われています。

 

カリフ制にすがった晩年

彼はスルタンであると同時にイスラーム世界の最高権威「カリフ」の地位にも執着。トルコ共和国によってスルタン制が廃止されたあとも、自分こそ真のイスラームの指導者だと主張し続けました。しかしこの「カリフ制」も1924年には完全に廃止され、その影響力は消滅してしまいます。

 

退位時の“象徴的な退場”

1922年11月、イギリスの軍艦「マルボロ号」に乗せられてイスタンブールを出港する姿は、帝国終焉の象徴として多くの人々の記憶に残りました。あの船出は、オスマン帝国そのものの“歴史的退場”だったともいえるのです。

 

ドルマバフチェ宮殿を去るメフメト6世(1922年)
オスマン帝国の最後のスルタンとして退位を迫られ、この後イギリスの軍艦でマルタへ亡命した

出典:Unknown author / Wikimedia Commons Public domainより

 

 

功績と影響

政治的には受け身の姿勢が強く、実質的な改革などの成果は乏しいものの、メフメト6世の時代は「制度の終焉と新国家の誕生」が同時に進行した特異な時代でした。

 

セーヴル条約と国民的反発

1920年、メフメト6世の政権は列強によって結ばれたセーヴル条約を承認。これはオスマン帝国の領土の大半を失わせる不平等条約で、国内では激しい怒りを招きました。この出来事が、のちのムスタファ・ケマル(アタテュルク)率いるトルコ独立戦争を加速させるきっかけとなります。

 

セーヴル条約(1920年)に基づく領土割譲地図
メフメト6世が承認した《セーヴル条約》は、第一次世界大戦後にオスマン帝国の領土を大幅に切り取る屈辱的な不平等条約だった

出典:Luisao Araujo / Wikimedia commons CC BY‑SA 4.0

 

新旧交代の節目

メフメト6世の退位とともに、600年以上続いたオスマン帝国のスルタン制はついに幕を下ろし、世俗的・共和制国家「トルコ共和国」が誕生。つまり、彼の退場は単なる一人の王の終わりではなく、政治体制そのものの歴史的断絶を意味していたのです。

 

メフメト6世は、激動の世の中で“過去の象徴”として存在したスルタンでした。彼の人生そのものが、オスマン帝国の終わりを体現していたといっても過言ではありません。王座にあっても孤独、退位しても希望は見えない──そんな「最後のスルタン」の姿に、帝国の儚さが重なります。