世界史の中でも特に壮大なスケールを誇るオスマン帝国。 でも、そんな大帝国にも終わりの時がきます。そしてその終わりを、
たった一人で見届けた皇帝がいたんです。
彼の名前は
メフメト6世ヴァフディッディン。 栄華の象徴だった「スルタン」という称号を最後に名乗った人物で、彼の人生そのものが
帝国の終焉を映す鏡ともいえるんです。
この記事では、メフメト6世が
どんな時代に即位して、何を思いながら帝国の最期を迎えたのかを、できるだけわかりやすく整理してみたいと思います。
「最後のスルタン」が登場した時代
オスマン帝国って、実は第一次世界大戦に参加していたんです。でも戦争には敗れてしまい、戦後のオスマン帝国は領土を切り取られ、政治的にもバラバラ。そんな絶望的なタイミングで登場したのが、
メフメト6世でした。
運が悪すぎた即位タイミング
メフメト6世が皇帝になったのは
1918年。 もうすでにオスマン帝国はボロボロで、
イスタンブルには連合軍(イギリス・フランス)が駐留してるような状態でした。 「スルタン」って本来は絶対的な支配者のはずなんですが、この時期は
まったく自由に動けなかったんです。
「イスラム世界のカリフ」でもあったけど…
メフメト6世はスルタンであると同時に
カリフ(イスラム教の最高権威)でもありました。 でも現実は、イギリスの言いなり状態で、
カリフとしての威厳を示す場面もほとんどなかったんです。
帝国崩壊とともに消えていくスルタン制
時代はどんどん“スルタンのいない国”へと向かっていきます。 そしてそこに登場するのが、みなさんも一度は聞いたことがあるであろう、
ムスタファ・ケマル(アタテュルク)です。
ケマルが作ろうとした「新しい国」
ケマルは「もう帝国とか王様の時代じゃない!」と考えて、
共和国(トルコ)を作ろうとしたリーダーでした。 メフメト6世にとっては、
自分の地位を根本からひっくり返す敵みたいな存在だったわけです。
そしてついに「スルタン制」が廃止
1922年11月1日、トルコ大国民議会がスルタン制そのものを廃止。 メフメト6世は
軍艦でイギリスに亡命することになります。 この時、オスマン帝国のスルタンが最後の瞬間を迎えた――そう考えると、ちょっと切ないですよね。
スルタンの“その後”はどうなった?
じゃあ、追放されたメフメト6世は、その後どこでどんな生活をしていたのか? ここから先は、
「かつて帝国を治めていた男の、静かな余生」です。
亡命先はイタリア・サンレモ
メフメト6世は
イタリアのサンレモというリゾート地に住むことになります。 華やかな宮殿も、忠実な家臣も、もういません。 それでも
彼は最後まで「自分は皇帝だ」というプライドを失わずに過ごしたそうです。
亡くなってもトルコには帰れなかった
1926年に死去。 でも亡骸はトルコには戻されず、
現在はシリアのダマスカスにあるスレイマニエ・モスクに埋葬されています。 「自分の帝国に帰れなかった皇帝」――なんだか、すごくドラマチックで悲しいですよね。
メフメト6世ヴァフディッディン—
彼は“帝国を築いた皇帝”ではなく、“帝国を見送った最後の皇帝”でした。
オスマン帝国という超大国が終わっていくその時、ひとり静かにその重みを背負っていたのが、彼だったんです。