【第一次世界大戦】オスマン帝国はなぜ同盟国側なのか

20世紀初頭、ヨーロッパが大混乱に突入するきっかけとなった第一次世界大戦。この戦争にオスマン帝国も参戦するんですが、ちょっと不思議に思いませんか?
当時すでに衰退気味だったオスマン帝国が、なんでわざわざドイツやオーストリア=ハンガリー帝国の同盟国側(中央同盟)についたのか。
実はこれ、帝国の生き残りをかけた“ギリギリの選択”だったんです。その背景を、くわしく見ていきましょう!

 

 

そもそも、なぜ戦争に参加しようとしたの?

第一次世界大戦のころ、オスマン帝国はもう全盛期とは程遠く、むしろ「病人」とまで呼ばれるくらいヨーロッパ列強から狙われていた存在でした。
でも、それでも帝国としては「まだ終わってない!」って気持ちがあったし、逆にこの戦争をチャンスにしたいという思惑もあったんです。

 

帝国の衰退にストップをかけたかった

19世紀〜20世紀初頭にかけて、オスマン帝国は何度も領土を失い、特にバルカン戦争での敗北はショックでした。
「このままじゃ、帝国がどんどん削られていくだけじゃないか?」っていう危機感がすごく強かったんですね。
そこで、「もう一度国際的に存在感を見せるには、戦争しかない」と考えたわけです。

 

戦争を通じて“領土回復”を狙っていた

オスマンの中には、「戦争に勝てば昔の領土を取り戻せるかもしれない」と本気で考えていた人たちもいました。
たとえば、エジプト・カフカス・アラビア半島など、かつての支配地域に対して、再支配を夢見るナショナリズムがうずまいていたんです。
この戦争を「最後のチャンス」ととらえた人たちも多かったんですね。

 

なぜ連合国じゃなく“同盟国側”だったの?

ヨーロッパの列強が2つの陣営に分かれる中で、オスマン帝国が選んだのはドイツ・オーストリア側の中央同盟国
「フランスやイギリスと仲良くしてた方が安全そうじゃない?」って思うかもしれませんが、実際にはその選択肢はなかったんです。

 

列強との関係がそもそもよくなかった

というのも、オスマン帝国にとって、イギリスやロシアは領土を狙ってくる“天敵”みたいな存在でした。
実際、エジプトはイギリスに奪われているし、ロシアは黒海やバルカンに進出してきてるしで、もう警戒心MAX。
そんな相手と「連携しよう」っていう空気には、なりにくかったんですね。

 

ドイツとの軍事的な結びつきが強まっていた

実はオスマン帝国は、19世紀末からドイツとぐっと距離を縮めていました。
ドイツから軍事顧問団を受け入れていたし、有名なバグダード鉄道の建設もドイツ主導。
つまり戦争前から「ドイツと組むのが一番メリットあるかも」っていう空気が出来上がってたんです。

 

参戦のきっかけになった“あの事件”

とはいえ、最初から戦争に突っ込む気満々だったわけじゃありません。オスマン帝国は開戦直後しばらく中立を保ってたんです。
でも、ある事件をきっかけに一気に戦争に引き込まれてしまいます。

 

ドイツの軍艦「ゲーベン号」の亡命事件

1914年、ドイツの巡洋戦艦ゲーベン号が地中海でイギリス海軍から逃げてきて、オスマン帝国に“保護”されます。
これを口実にオスマン側は「ドイツの船じゃなくて、我々の船になったんだよ」っていう感じで取り繕いながらも、黒海でロシアを奇襲攻撃してしまうんです。
これが実質的な参戦のきっかけでした。

 

参戦に賛成してたのは誰?

オスマン帝国の中でも、全員が「戦争だー!」ってノリだったわけじゃありません。
でも陸軍の実権を握っていたエンヴェル・パシャをはじめ、ドイツ寄りの若手軍人グループが主導して、参戦を決めちゃったんです。
特にエンヴェルは、戦争で帝国を再興できるって信じてたんですね。

 

第一次世界大戦でオスマン帝国が同盟国側についた理由は、帝国の衰退を止めたいという必死の思惑と、長年の列強との関係、そしてドイツとの結びつきが深まっていたことが背景にあります。
戦争をチャンスと見て動いた結果、取り返しのつかない道に足を踏み入れてしまった――それがこの選択の悲劇的な側面でもあるんです。