オスマン帝国で愛されたお菓子

トルコといえば甘〜いお菓子のイメージが強いですが、実はそのルーツの多くがオスマン帝国時代にさかのぼるんです。
スルタンたちの宮廷では、豪華な料理だけでなく、とびきり甘くて見た目も華やかなお菓子がとても重宝されていました。
この記事では、オスマン帝国で愛されたお菓子たちと、それがどんな場面で食べられていたのか、その背景を見ていきましょう。

 

 

オスマン帝国とお菓子文化の深い関係

オスマン帝国では、単なる「デザート」以上に、お菓子は文化・儀礼・政治にも関わる存在でした。
特に宮廷では、お菓子職人専用の部署があり、スルタンのために日々新作を研究していたほど。
しかも、甘いものは「喜び」や「豊かさ」の象徴でもあったため、宗教行事や祝宴などでも欠かせない存在だったんです。

 

お菓子作りは国家事業レベル

トプカプ宮殿には「ヘルヴァーネ部局(Helvahane)」というお菓子専門の厨房があって、ここで王族向けのスイーツが日々つくられていました。
しかも、薬用成分を含むものも多くて、お菓子+薬膳のような感覚もあったんですね。

 

オスマン帝国の代表的なお菓子たち

ここからは、当時の宮廷や市民に愛された代表的なお菓子をご紹介します。
今でもトルコで食べられているものも多くて、まさに時代を超えて愛される味です。

 

ロクム(Lokum/ターキッシュディライト)

ゼラチンのような食感に、バラ水やレモン、ピスタチオが入ったキューブ状の砂糖菓子
16世紀後半から作られるようになり、特に19世紀に入ってからレシピが改良され、今の形に近づきました。

 

ロクムは外交使節への贈り物としても使われ、「オスマン帝国の優雅さ」を象徴する存在でした。

 

バクラヴァ(Baklava)

極薄の生地を何層にも重ね、ナッツとシロップをたっぷり染み込ませた超リッチな焼き菓子
オスマン帝国では特にラマダン明けの祝祭や軍への振る舞いとして使われ、バクラヴァの行列(Baklava Alayı)なんていう儀式もあったくらいです。

 

見た目も豪華で、「帝国のおもてなし菓子」として君臨していました。

 

ギュルラッチ(Güllaç)

ラマダンの時期に食べられる乳白色のふわとろスイーツ
米粉と牛乳、バラ水でつくったシートを重ねて、くるみやザクロをトッピング。
オスマン時代から続く伝統菓子で、甘さ控えめなのに風味が豊かで、食後にぴったりの一品として重宝されていました。

 

ヘルヴァ(Helva)

トルコにおける「定番中の定番」とも言えるスイーツ。
小麦粉やセモリナ粉、バター、砂糖を使って練り上げるもので、葬儀・祝い事などどんな行事にも登場する万能なお菓子でした。

 

種類も豊富で、ピスタチオ入りのものやカカオ風味など、庶民から王族まで幅広く愛された味です。

 

甘いものは“帝国の力”を象徴していた

オスマン帝国では、ただ「甘くておいしい」だけじゃなく、お菓子には政治的・宗教的な意味もこめられていたんです。
とくにバクラヴァのような高級菓子は、スルタンの寛大さや財力を表す手段でもありました。

 

お菓子で人心掌握?

宗教行事の断食明けに大量のスイーツを配ったり、軍隊にふるまったりと、甘いものは「祝福」や「恩恵」のシンボルでした。
オスマン帝国における政治とお菓子の関係性は、現代の国家イベントの“おもてなし”にも通じる部分がありますね。

 

オスマン帝国では、お菓子がただの嗜好品じゃなくて、文化・宗教・政治にまで関わる存在だったんです。
今でもトルコで愛されるロクムやバクラヴァは、その名残そのもの。
一口で広がる甘さの中に、帝国の歴史と誇りがギュッと詰まってるんですね。