オスマン帝国の食文化③─「お菓子+コーヒー」の本家本元

オスマン帝国のお菓子+コーヒー文化

このページでは、オスマン帝国における甘いお菓子とトルコ式コーヒーの文化的関係についてお話しています。バクラヴァやロクムといった伝統菓子の豪華さ、16世紀に誕生したカフヴェハーネ(コーヒーハウス)の社会的役割、そして宮廷と庶民をつなぐ儀礼としての意味を解説。これにより、オスマン帝国の豊かな食文化と社交の理解を深める助けになれば幸いです。

オスマン帝国の食文化③─「お菓子+コーヒー」の本家本元

ハレムでコーヒーと菓子を嗜む貴婦人(18世紀)
出典:Wikimedia Commons Public Domain

 

甘くて濃厚なお菓子と、香り高くて渋みのあるコーヒー──今でこそカフェ文化として世界中に広がっているこの組み合わせ、じつはオスマン帝国こそが“元祖”だったってご存じでしたか?この記事では、そんなオスマン帝国におけるお菓子とコーヒーの深〜い関係をテーマに、その起源、発展、そして文化的意味まで、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。

 

 

 

オスマン帝国は“甘味大国”だった

まずは、お菓子文化そのものの豊かさから見ていきましょう。

 

バクラヴァの重厚な甘さ

オスマン菓子の代表格といえばバクラヴァ。何層にも重ねた薄いパイ生地にナッツをはさみ、バターとシロップをたっぷりかけて焼き上げる、まさに贅沢の極みとも言えるスイーツです。バルカンからペルシャ、アラビア世界までの菓子技法を融合させたこの一品は、宮廷の晩餐や祝祭に欠かせない存在でした。

 

ロクム(ターキッシュディライト)

ゼラチン質にナッツや果汁、バラ水などを練り込んだ柔らかいお菓子ロクムは、手土産や贈り物の定番。一口で広がる香りと甘さがコーヒーとの相性抜群で、「口直し」や「おもてなし」の象徴として広まりました。

 

トルコ式コーヒーの誕生と定着

お菓子と切っても切れないのが、オスマン式のコーヒー文化。そのはじまりは16世紀にさかのぼります。

 

イスラム圏初の“カフェ文化”

エチオピアやイエメンから伝わったコーヒーは、まずメッカやカイロのスーフィー教団で眠気覚ましとして飲まれていました。それがイスタンブールに伝わると、カフヴェハーネ(コーヒーハウス)という喫茶文化が誕生し、知識人や芸術家たちの社交と議論の場として花開いていきます。

 

淹れ方と飲み方の美学

トルコ式コーヒーは、細かく挽いた豆を水と一緒に小鍋(ジェズヴェ)で煮立てて抽出し、泡ごとカップに注ぐのが特徴。濃くて苦いこのコーヒーは、ロクムやバクラヴァの甘さとバランスをとるために生まれたと言っても過言ではありません。

 

 

宮廷と庶民をつないだ“甘味と苦味”

この「お菓子+コーヒー」は、単なる嗜好ではなく、文化と社会をつなぐメディアでもありました。

 

宮廷での儀礼ともてなし

スルタンの宮殿では、儀式用のコーヒーとお菓子が定番化しており、“コーヒー係”の役職まで存在していました。訪問者に対してコーヒーと甘味を出すことは、敬意と歓迎の印であり、政治交渉や結婚の席でも欠かせない習慣となっていたのです。

 

庶民のコミュニケーション空間

町のカフヴェハーネでは、ロクムをつまみつつコーヒーを飲みながら、新聞を読み、詩を朗読し、政治を語る光景が広がっていました。宗教的理由で酒が飲めなかったイスラーム社会において、コーヒーハウスは“もうひとつの酒場”だったとも言えるでしょう。

 

このように、「お菓子+コーヒー」の組み合わせは、オスマン帝国の食文化の中核として、人々の心と社会を豊かにつないでいたのです。