ムラト2世は何した人?─ヴァルナ十字軍を撃破し安定を築いたスルタン

ムラト2世は何した人?

オスマン皇帝紹介・第6代スルタン《ムラト2世》編です。バルカンでの覇権をめぐりハンガリーやヴェネツィアと抗争を繰り広げ、ヴァルナの戦いで十字軍に決定的勝利を収めた名将。退位と復位を経験しながらも帝国の安定を守り、次代メフメト2世への道を整えました。その生涯や死因、性格や逸話、功績や影響を探って行きましょう。

第6代スルタン《ムラト2世》とは何した人?
─ヴァルナ十字軍を撃破し安定を築いたスルタン─

ムラト2世(Murad II, 1404–1451)
出典:Paolo Veronese (Nachfolger) / Wikimedia Commons Public domain

 

ムラト2世の基本情報
在位 1421年~1444年、1446年~1451年
出生 1404年6月
死去 1451年2月
異名 隠遁から復位したスルタン

父:メフメト1世
母:エムネ・ハトゥン

兄弟 アフメト・チャレビー(夭折)など
子供 メフメト2世、アフメト、アラエッディン、ハサンなど多数
功績 ヴァルナ十字軍を撃破し、帝国の防衛に成功。詩人としても知られ、文化振興にも寄与。引退後に復位する異例の経歴を持つ。
先代 メフメト1世
次代 メフメト2世

 

オスマン帝国が再統一されたあと、その基盤をさらに強化しつつ、ふたたびバルカン戦線に打って出たのがムラト2世(在位1421-1444 / 1446-1451)です。

 

じつは彼、一度退位して“隠居”したのに、のんびりできたのはほんのわずか……すぐに王座へ引き戻されるというレアな経験の持ち主。
戦と政に翻弄されながら、次の時代──あの“コンスタンティノープル陥落”へと続く土台をつくった、影の功労者なんです。

 

 

 

生涯と死因

若くして即位し、波乱の人生を歩んだムラト2世。二度にわたる治世の内実とは?

 

十代で即位し反乱に直面

メフメト1世の死を受けて、1421年、ムラトはわずか18歳でスルタンに即位。ところが就任早々、ビザンツ帝国の支援を受けた偽スルタン騒動やアナトリアでの反乱が勃発し、いきなり火の海の中に放り込まれたような状況に。

 

それでも彼は冷静に対処し、1430年代にはバルカン遠征を次々と成功させるようになります。まさに「苦労して育った本物のスルタン」だったわけですね。

 

一度退位するも復位へ

1444年、息子でわずか12歳のメフメト2世に王位を譲り、ムラトは隠居生活に入ります。でもそれから間もなく十字軍がハンガリーを中心に侵攻。帝国はピンチに。

 

民衆も軍も「やっぱりムラトがいないと無理!」と叫び、彼はすぐさま復位。
1444年のヴァルナの戦いで十字軍を撃退し、以後も帝国を安定させたのち、1451年に病で没しました。

 

性格と逸話

ムラト2世の人柄は、どこか“慎重な父親タイプ”。感情よりも理屈で動くバランス型リーダーだったようです。

 

平和を求めた理性派

ムラト2世は本音では戦よりも内政を大事にしたいタイプ。外交的にもビザンツ、セルビア、ヴェネツィアなどと停戦交渉を重ね、平和的解決を模索する姿勢が見られます。

 

でも必要とあらば容赦なく剣を抜くところもあり、ヴァルナの戦いで十字軍を打ち破ったのは、まさに“本気モード”の彼でした。

 

退位と復位のジレンマ

ムラトが一度退位した理由は、「もう疲れた、政治したくない」ではなく、息子メフメトの育成のためだったとも言われます。

 

でも、国が混乱しそうになるとやっぱり我慢できずに出てくる──そんな責任感の塊みたいな人物だったんですね。

 

 

功績と影響

ムラト2世の治世は、帝国の転換期。彼の判断と制度が、次の黄金時代を生み出す土壌を整えました。

 

バルカンでの安定支配

ムラトの功績として見逃せないのが、アルバニア、ブルガリア、ハンガリーといった難敵との折衝・戦争をくり返し、最終的にはバルカン半島の広い範囲を実質支配下に置いたことです。

 

とくに1430年のテッサロニキ攻略や、1448年のコソボ第2次戦は、ヨーロッパ諸国に「オスマン帝国、マジでやばいぞ」と思わせるインパクトを与えました。

 

文治の整備と後継者育成

彼のもうひとつの大きな功績は、次代メフメト2世への継承準備
教育にも力を入れ、政務文書の整備や地方統治制度の強化など、息子の時代にスムーズに帝国が回るよう“下ごしらえ”を徹底して行いました。

 

つまり、ムラト2世は戦う文治派。戦って守り、そして整えて次代へ渡すという、かなり理想的な“橋渡し役”だったんです。

 

ムラト2世は、地味だけどめちゃくちゃ大事な存在。「戦う隠居皇帝」なんてあだ名がついてもおかしくないぐらい、出たり引っ込んだりしながらも、帝国を支え続けたんですね。まさに「静かなるタフネゴシエーター」って感じのスルタンでした!