オスマン帝国の最盛期っていつなの?

18世紀に入る前、オスマン帝国には「これぞまさに黄金時代!」って呼べる時期があったんです。領土はめちゃくちゃ広がって、軍事も経済も政治もバリバリ、ヨーロッパの国々がビビるほどの大国っぷりを見せつけてたんですよ。
この“最盛期”がいつなのかっていうと、だいたい16世紀の半ばごろ。その中心にいたのが、あの超有名なスルタンです。

 

 

オスマン帝国が本気で世界を驚かせてた時代

オスマン帝国の歴史の中でも、特に「最盛期」って言われる時代があります。
それはただ土地が広かっただけじゃなくて、文化も経済も政治も全部が調子よくて、他の国からも「オスマンやべぇ…」って一目置かれてた時代なんです。
この絶頂期をつくった中心人物が、誰もが一度は名前を聞いたことがあるスレイマン1世というスルタンでした。

 

最盛期のド真ん中は「スレイマン大帝」の時代

スレイマン1世の在位期間は1520年〜1566年で、この約50年がまさにオスマン帝国の「黄金時代」。
西ではハンガリーを制圧してヨーロッパにグイッと攻め入り、東ではペルシャ(サファヴィー朝)とガチンコ勝負。さらには北アフリカやアラビア半島にも手を広げて、帝国の版図は最大級に。
それだけじゃなくて、法律の整備や都市の発展、芸術の支援まで手を出してたから、「軍人だけど頭も切れる」って感じの万能スルタンだったんです。

 

この時期、オスマン帝国はどこまで広がってた?

スレイマン1世の時代、オスマン帝国は東ヨーロッパ・中東・北アフリカにまたがる超巨大国家になってました。
ざっくり言うと、現在のハンガリー・トルコ・イラク・シリア・エジプト・チュニジアあたりまでがぜ〜んぶオスマンの領土。
地図を広げて見ると、「これ、もはや半分ヨーロッパじゃん!」って感じになります。

 

なぜこの時代が“最盛期”って言われてるの?

領土が広がっただけなら、「他の時代でも大きくなったときあるんじゃない?」って思うかもしれません。でもね、このスレイマン時代には、他にもいろんな意味で“最強感”があったんです。

 

戦も強い、政治も安定、文化も充実

まず軍事力。ジャニサリー(常備軍)の活躍と、大砲や艦隊を活かした戦術でヨーロッパ相手にも一歩も引かない。
次に政治。スレイマンは「立法者」って呼ばれるくらい、法律をしっかり整備しました。
で、文化もすごい!詩や建築、美術なんかもめちゃ盛り上がってて、有名な建築家シナンが活躍したのもこの時期なんです。

 

ヨーロッパが本気で怖がってた

オスマン帝国がここまで大きくなると、さすがにヨーロッパ諸国もビビります。
「いつかウチの国まで来るんじゃないか?」って本気で焦ってたくらい。
特に神聖ローマ帝国やスペインは何度も戦争してて、「オスマン=最強のライバル」って扱いでした。

 

オスマン帝国の最盛期は、16世紀半ば、スレイマン1世がスルタンだった時代にあたります。
ただ大きいだけの帝国じゃなくて、軍事・政治・文化、ぜんぶがかみ合って「完成された帝国」って感じでした。
この黄金時代の影響は、今のトルコや周辺国の文化や社会にも深く根づいていて、「オスマンの誇り」としてずっと語り継がれているんです。