
王宮のヘルヴァジュ
王宮で働くヘルヴァジュ(菓子職人)は、オスマン帝国の甘味文化の一翼を担った存在
出典:Jean‑Antoine Guer / Wikimedia commons Public domainより
「オスマン帝国の料理」と聞くと、なんだか豪華な肉料理やスパイスの効いた煮込み料理を想像するかもしれません。でも実際には、身分や民族、宗教によって食べられるもの・食べ方は驚くほど違っていたんです。この記事では、そんなオスマン帝国における食文化の多様性に注目して、階層ごとの食事内容や民族ごとの違いをわかりやすくかみ砕いて解説していきます。
まずは「誰がどの階層にいたか」で見ていきましょう。
皇帝を頂点とするスルタン宮廷では、毎日数十種類の料理が用意され、羊肉、米、ナッツ、ドライフルーツを使ったごちそうが並びました。料理は砂糖やバラ水、スパイスで香り付けされ、味よりも見た目と香りが重視された面もあります。
都市部に住む中産層や商人たちは、野菜・豆類・パン・ヨーグルトが中心の食事をとっていました。ときには肉も食べましたが、基本は季節の素材を使った煮込みやグリルなど、家庭的で実用的な食事スタイルでした。
農村や辺境に住む農民や遊牧民たちは、穀類、乳製品、乾燥果物が主な食料。保存性と携帯性が重視され、発酵乳(ケフィア)や硬パン、チーズなどが日常食として定着していました。食材の豊富さというよりも自給自足と効率が優先された暮らしだったのです。
帝国には多種多様な民族が暮らしており、それぞれに特色ある食文化を持っていました。
オスマン帝国の中核であるトルコ系ムスリムは、伝統的に羊肉と小麦(パン・ブルグル)を中心とした料理文化を持っていました。スープ・煮込み・グリルなど調理法も豊かで、帝国全体に影響を与える“主流”の食文化でした。
沿岸部に多く住むギリシャ人・アルメニア人は、オリーブ油、魚介、野菜、ワインといった地中海的食文化を保持していました。オスマン時代も独自の食材と技法を守り、宮廷料理にも彼らの料理人が採用されることも多々あったんです。
帝国各地にいたセファルディ系ユダヤ人は、宗教戒律に従ってコーシャ(清浄)料理を守っていました。肉と乳製品を同時に摂らない、特定の動物を避けるなどのルールを持ちつつ、地中海・中東の影響を受けた独自の創意料理も多く残されています。
宗教の違いが、食材の選択や調理法にどう影響していたのかも見逃せません。
イスラム教徒は豚肉の禁忌を守るほか、食肉も適切な屠殺法(ハラール)で処理されたものしか口にできませんでした。また飲酒も禁忌とされており、宴会での提供は制限されていました(とはいえ都市部では隠れて飲酒する例も…)。
ギリシャ正教徒やアルメニア正教徒の間では、断食期間中の肉・乳製品の制限があり、そうした時期には野菜・豆・オリーブを使った精進料理が中心になりました。季節ごとに食卓の風景が変わる文化でもあったのです。
異なる民族や宗教が混在していたオスマン帝国だからこそ生まれた“食の交差点”も見逃せません。
都市の市場(バザール)では、ケバブ、ピラフ、スイーツ、シチューなど、さまざまな地域・民族の料理が混じり合って提供されていました。屋台や食堂では庶民が異文化の味を手軽に楽しむことができ、“食の多文化主義”が自然と育まれていったのです。
各地の料理人が宮廷の厨房(マトバフ)に集められ、それぞれの技法や食材が融合。結果的にオスマン宮廷料理は、帝国内の“選りすぐりグルメ”を集めた集大成となっていきました。多民族帝国の象徴が、まさに“食”にも表れていたんですね。
このように、オスマン帝国の食文化は、身分の違いと民族の多様性が折り重なった、豊かで奥深い“味のモザイク”だったのです。