セリム2世は何した人?─カピチュレーションで知られる酒好きスルタン

セリム2世は何した人?

オスマン皇帝紹介・第11代スルタン《セリム2世》編です。偉大な父スレイマン1世の後を継いだものの、酒好きで政務を重んじず「酩酊王」とも呼ばれる人物。実権は有能な大宰相ソコルル・メフメト・パシャに委ねられ、キプロス征服などの成果もあった一方、レパントの海戦では大敗を喫しました。その生涯や死因、性格や逸話、功績や影響を探って行きましょう。

第11代スルタン《セリム2世》とは何した人?
─カピチュレーションで知られる酒好きスルタン─

セリム2世(Selim II, 1524–1574)
出典:Nigâri(オスマン宮廷画家)/ Wikimedia Commons Public domain

 

セリム2世の基本情報
在位 1566年~1574年
出生 1524年5月30日
死去 1574年12月15日
異名 酒好きスルタン

父:スレイマン1世
母:ヒュッレム・スルタン

兄弟 ムスタファ、バヤズィト、メフメト、ジャハンギル ほか(すべて異母または早世)
子供 ムラト3世 ほか
功績 カピチュレーション(通商特権)を拡大し、ヴェネツィアとの和平を結ぶなど外交に注力。実権は大宰相ソコルル・メフメト・パシャに委ねられた。
先代 スレイマン1世
次代 ムラト3世

 

オスマン帝国といえば、華やかなスルタンたちの活躍や、壮大な建築、そして帝国の栄枯盛衰に注目が集まりがち。でもその中に、ちょっと異質なスルタンがいたんです。戦場にはほとんど出ず、酒と詩と快楽に没頭しながらも、なぜか国を回してしまった──そんな不思議な存在。

 

その人物こそがセリム2世(1524 - 1574)

 

この記事では、父スレイマン大帝の威光を引き継いだものの、そのやり方はまるで違ったセリム2世の人生、性格、そしてその功績や後世への影響をわかりやすくかみ砕いて解説します。

 

 

 

生涯と死因

セリム2世の人生を振り返ると、「皇帝らしくない皇帝」という印象がどこまでもついて回ります。

 

詩と酒に囲まれた青年期

セリム2世は、父にあのスレイマン1世、母にその寵妃ヒュッレム・スルタンをもつ、いわば帝国内でも屈指の“サラブレッド”。1545年にはマニサ州の総督を務め、皇位継承候補としての道を着々と歩んでいました。

 

ところがこのセリム、武勇よりも文学や詩、そしてなにより酒好きとして有名。史料によれば、彼はイスラム教徒でありながらもワインを好み、「酔っ払いスルタン」などというあだ名までつけられていたほどなんです。

 

平穏すぎる治世と不慮の死

1566年、スレイマン大帝の死によって即位したセリム2世。しかし彼自身は戦場には出ず、軍事指揮をすべて宰相ソコルル・メフメト・パシャに任せてしまいます。彼の在位中は大規模な反乱もなく、政務も安定していたものの、「皇帝がほとんど関与しない」という点で、逆に特異な治世だったともいえます。

 

そんな彼の最期は、なんとハマム(浴場)で足を滑らせて転倒し死亡というもの。享年50歳、まさかの事故死だったわけです。

 

性格と逸話

セリム2世の人となりは、まさに“型破り”。武将タイプの歴代スルタンとはかなり毛色が違います。

 

快楽主義と芸術愛好

まず何よりも彼の快楽主義。酒はもちろん、詩や音楽、舞踊にまで造詣が深かったセリムは、自ら詩も書いていたといわれます。さらに後宮の拡張などにも力を入れており、ハーレム文化がいっそう豪奢になっていったのも彼の治世です。

 

ただし、その奔放な性格ゆえに、宗教的な保守層からの評価はイマイチ。とはいえ、それを気にする様子もなく、自由気ままに宮廷生活を楽しんでいた様子が伺えます。

 

政治を丸投げした信頼体制

父スレイマン1世があれだけ“自ら采配をふるう”タイプだったのに対し、セリム2世は統治をすべて大宰相に委ねるという選択をします。ソコルル・メフメト・パシャへの信頼は絶大で、事実そのおかげで帝国は安定を保っていたのだから驚きです。

 

いわば、やる気のないリーダーだけど、スタッフの力で何とかなった──そんな感じですね。

 

 

功績と影響

ぱっと見は何もしていないように思えるセリム2世。でもじつは、けっこう大きなことをやらかしていたんです。

 

キプロス征服とレパントの敗北

最大の軍事的トピックはキプロス島の征服(1570-1571年)。この地はかねてよりヴェネツィアが支配していましたが、セリム2世はワイン好きが高じて「キプロスのワインが欲しい」という理由で戦争を始めた──なんて噂もあるほど。

 

結果的にはキプロスを奪うことに成功しますが、その直後のレパントの海戦で、オスマン海軍はキリスト教連合軍に大敗。これが「オスマン帝国の無敵神話」が初めて崩れた瞬間だったとも言われます。

 

帝国官僚制のさらなる洗練

戦場に出なかったとはいえ、セリム2世の治世では官僚機構の整備がいっそう進みました。とりわけソコルル・メフメト・パシャが進めた行政改革やインフラ整備、宗教施設の建設などは、後のスルタンたちにも大きな影響を与えました。

 

つまり「セリム本人が何もしなかった」からこそ、官僚制度が自律的に機能するようになったとも言えるわけですね。

 

ソコルル・メフメト・パシャ
セリム2世の治世において実権を握り、内政・外交を巧みに統率した名宰相

出典:Wikimedia commons Public domainより

 

こうして見ると、セリム2世ってまるで“やる気のないリーダー”みたいだけど、ちゃんと結果は出してるんですよね。戦場には行かず、宮廷で酔ってても、それでも帝国が回るって…ある意味すごいことだと思いませんか?