
オスマン帝国って、なんで「オスマン」って名前なの?
ちょっと不思議に思ったことありませんか?実はこの名前、ちゃんと人名由来なんです。そして、私たちが普段「オスマン帝国」って呼んでるけど、実は正式名称はまったく違うんですよ。
ここでは、その名前の由来と正式な呼び方を分かりやすく解説していきます!
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「オスマン帝国」は、まさに創始者の名前から取られた国名です。西洋でもアジアでも「創始者の名前が国名になる」ってよくある話ですが、オスマン帝国もその王道パターンなんですね。
帝国の名前の元になったのは、13世紀末にアナトリア(今のトルコ)で小国を興したオスマン1世(オスマン・ガーズィ)という人物。
彼はセルジューク朝の辺境で半独立状態だったトルコ系の酋長で、そこから周囲をどんどん制圧し、国の基礎を作り上げた人です。
彼の名を記念して、後の人々はこの国家を「オスマンの国」=オスマン帝国と呼ぶようになったんですね。
ちなみに「オスマン」は英語や日本語風の発音で、アラビア語やトルコ語では「ウスマーン(ʿUthmān)」と発音されます。
つまり、「オスマン帝国」は、英語風の表現なんですね。なので英語ではOttoman Empireと表記されます。
この「Ottoman」も実は「オスマン」の西洋風な言い換えなんです。
「オスマン帝国」って実はあくまで後世の呼び名。では当の本人たちは、自分たちの国をなんと呼んでいたのでしょうか?ここからは、当時の正式な国名について見ていきます。
ちょっと長いですが、これがオスマン帝国の正式名称です。読み方はDevlet-i Aliyye-i Osmaniyye(デヴレト・イ・アリイェ・イ・オスマーニイェ)。意味は、
「オスマンの偉大なる国家」
という感じ。
「デヴレト」はペルシャ語由来で「国家」。「アリイェ」は「高貴な」「偉大な」。「オスマーニイェ」は「オスマン家に属する」という意味です。
他にも、外交文書などでは「オスマン朝」や「パーディシャーヒ(皇帝制)」など、用途に応じた呼び方もされていました。
でも、共通していたのは「皇帝の家=オスマン家」が国家の中心であるという意識です。つまり、スルタン=国家だったんですね。
「オスマン帝国」という名前は、創始者オスマン1世に由来していて、正式名称は「デヴレト=イ=アリイェ=イ=オスマーニェ」。
名前ひとつとっても、この帝国の歴史と誇りがぎゅっと詰まってるんです。