クロワッサンの「オスマン帝国起源説」が面白い|敵の象徴を喰らえ!

クロワッサンといえば、フランスのカフェで出てくるバターの香りただようあの美味しいパン。
でも実はこのクロワッサン、「オスマン帝国との戦いがきっかけで生まれた」という、ちょっと信じられないような逸話があるんです。
もちろん史実としては疑わしい部分も多いんですが、なぜそんな話が語り継がれてきたのかをたどると、ヨーロッパとオスマン帝国の複雑な関係が見えてくるから面白いんですよね。
この記事では、クロワッサンの“オスマン帝国起源説”の中身とその背景、そして「敵の象徴を食べる」という深〜い文化的意味を紐解いていきましょう。

 

 

そもそも「クロワッサン=三日月」の意味とは?

クロワッサン(croissant)は、フランス語で「三日月」を意味する言葉
見た目そのまんまなネーミングですが、実はこの「三日月」こそが、オスマン帝国の象徴とされていたんです。
オスマン帝国の旗にも描かれていたこのマークが、ヨーロッパ人にとっては“東の脅威のシンボル”と見なされていました。

 

オスマン帝国と三日月の関係

三日月と星のマーク(現在のトルコ国旗にも残っていますね)は、オスマン帝国時代にイスラーム世界の象徴として広まっていきました。
このため、キリスト教世界のヨーロッパにとっては「敵の旗印」として記憶され、十字架 vs 三日月という対立構造がイメージの中に定着していたんです。

 

パンで“敵”をかたどるという発想

そんな中で登場したのが、「敵のシンボル(三日月)を食べて勝利を祝う」というアイデア。
現代感覚ではちょっとブラックユーモアに感じるかもしれませんが、中世・近世ヨーロッパではごく自然な文化的表現でもありました。

 

“ウィーン包囲戦”とクロワッサン誕生伝説

では、オスマン帝国とクロワッサンがどう関係するのか――そのきっかけとしてよく語られるのが、1683年の第二次ウィーン包囲戦です。

 

パン屋がオスマン軍の“穴掘り”を聞きつけた?

伝説によれば、ウィーンのパン屋たちは早朝から仕事をしていたため、地下から忍び寄るオスマン軍の掘削音にいち早く気づき、これを通報。
結果、都市防衛に貢献した彼らに対し、感謝の意味を込めてオスマンの象徴である「三日月型のパン」を焼かせたという話が残っているんです。

 

敵を食べて勝利を祝う、という“文化的報復”

こうして生まれたクロワッサンは、単なる焼きたてパンではなく、「我らが敵に勝ったぞ!」という感情の込もった象徴的な食べ物とされました。
つまり、食文化の中に戦争と勝利の記憶を焼き込んだ、いわば“食べるプロパガンダ”だったとも言えるわけです。

 

でもこの話、ほんとうにあったの?

…というわけで、めちゃくちゃ面白い話なんですが、実はこの逸話には確かな一次史料が残っていません
歴史学的には、かなり“後付けの創作”である可能性が高いとされています。

 

登場が18世紀後半〜19世紀とちょっと遅め

現存する最初期のクロワッサンらしきレシピが登場するのは、18世紀も終わりごろ。
しかも、本格的にバターで層をつくる「パイ生地タイプ」のクロワッサンになるのは19世紀に入ってからなんです。

 

フランス革命以降に「クロワッサン=自由」のイメージも

19世紀には、クロワッサンが“市民のパン”として愛されるようになり、オスマン帝国とはまったく関係のない文脈で語られるようにもなります。
つまり、「ウィーン包囲戦の勝利記念」説は、後から物語化された“ナショナル・レジェンド”の可能性が高いんですね。

 

クロワッサンの“オスマン帝国起源説”は、たしかに史実とは言いきれません。
でも、そこに描かれる「敵の象徴を食べて勝利をかみしめる」という感覚には、戦争と食文化がどう結びついてきたかという、もうひとつの歴史のかたちが見えてきます。
たかがパン、されどパン――食べ物って、ほんと奥が深いですね。