
オスマン帝国って、すごく長く続いたし、領土も広大だから、社会の仕組みもかなり複雑そう…って感じますよね。
でも実は、めちゃくちゃシンプルな原則があったんです。それが、「支配する者(アスケリ)」と「支配される者(ライア)」という二層構造。
そこから、宗教や職業、民族に応じた身分が折り重なっていく――そんなオスマン流の“身分社会”を、今回はわかりやすく解説していきます!
|
|
オスマン社会では、身分をざっくり「支配層」と「一般民衆」に分ける考え方が基本でした。
それぞれにきっちり役割と責任が決まっていたんです。
アスケリとは、スルタンに仕える公的役職者のこと。
軍人(イェニチェリ)、官僚(ディヴァーンのメンバー)、ウラマー(宗教法学者)、裁判官など、税を払わない代わりに働いて国家を支える立場でした。
いわば「義務はあるけど税金は免除」のエリート階層ってわけです。
一方のライアは、農民・職人・商人・牧畜民など、帝国の経済を担う一般の人々。
この層は税金を納め、軍に入らず、国家に従う義務がありました。
ただしライアの中でも、ムスリムと非ムスリムでは扱いが少し違ってたんです。
オスマン帝国では、宗教が個人の身分や生活スタイルに大きく関係していました。
でもそれは差別というより、「共存のための仕切り分け」という考えに近かったんです。
イスラーム教徒(とくにスンナ派)は、政治や軍事の中核を担うことが可能でした。
たとえば官僚になったり、軍に入ったり、裁判官になるのもムスリムが中心。
ただし、必ずしも“上級階級”というわけではなく、農民や職人などライアにも多く含まれていたんですよ。
非ムスリムもミッレト制により、ある程度の宗教的・文化的自治を持っていました。
でもジズヤ(人頭税)などの追加的な税を納める必要があり、軍や官僚には基本的に入れないという制限も。
とはいえ、商業や金融分野ではむしろ活躍していた人も多かったんです。
宗教や税の区分に加えて、職業集団としてのヒエラルキーも存在していました。
とくに都市部では、ギルド的な組織や職能集団が重要な役割を果たしていたんです。
アヒー制度などの同業者組合が、品質・価格・技術の水準を維持しつつ、倫理も重んじた教育を行っていました。
こうした組織は、自治的に運営されていて、地域社会の安定装置にもなっていたんですね。
農村部では、土地を管理するティマール保有者(スィパーヒー)のもと、農民たちは土地を耕しながら地代や税を納める義務がありました。
つまり、農業労働と税の見返りに土地利用が許されていたという構図です。
オスマン帝国の社会構造は、「上流・下流」みたいな単純な身分制ではなく、宗教、職業、国家との関係によって柔軟に構成された“多層構造”でした。
見た目はカッチリしてるけど、実はかなり流動的で、昇進のチャンスもあれば、差別もあったというリアルな制度。
そんな構造が、長期安定と最終的なほころび、両方のカギを握っていたんですね。