特に有名なオスマン帝国の皇帝一覧

特に有名なオスマン帝国の皇帝一覧

オスマン帝国には、36人のスルタン(皇帝)が約600年にわたって在位しましたが、その中でも歴史的に特に有名・重要視されている皇帝が何人かいます。
ここでは、「オスマン帝国といえばこの人!」という特に有名なスルタン8人を、功績やエピソードと一緒にご紹介していきます。
それぞれが“国家のかたち”に大きな影響を与えた、いわば帝国の“顔”たちです。

 

 

オスマン1世(在位:1299〜1326)|帝国の始まりを作った建国者

オスマン帝国の名の由来となった初代スルタン。アナトリア西部に小さな侯国を築き、そこから独立・拡大へと舵を切りました。
オスマン朝の“苗木”を植えた人であり、まさに“父”として神話化されています。彼の時代から「ガーズィ(聖戦士)」の精神が帝国の思想の柱となります。

 

メフメト2世(在位:1444〜46、1451〜81)|コンスタンティノープルを陥落させた征服王

彼の名を聞けば、すぐに1453年のコンスタンティノープル陥落を思い出す人も多いはず。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼし、イスタンブールを首都に据えてオスマン帝国を“世界帝国”へと変貌させた人物です。
学問・法律・文化にも通じており、軍人かつ知識人としても評価されています。

 

スレイマン1世(在位:1520〜1566)|軍事も文化も黄金期を築いた“大帝”

「スレイマン大帝」の名で知られる帝国最大の支配者。領土はヨーロッパ・中東・北アフリカにまたがり、オスマン帝国の領土が最大になった時代の皇帝です。
法整備を行い、「立法者(カーヌーニー)」とも呼ばれました。
また、ヒュッレム・スルタンとのロマンスも有名で、宮廷文化・芸術・建築も最高潮に達しました。

 

バヤズィト2世(在位:1481〜1512)|ユダヤ人を受け入れた“寛容のスルタン”

スペインから追放されたセファルディム系ユダヤ人を大量に受け入れたことで知られています。
宗教的寛容政策を進め、国内の多民族共存を制度的に支えた人物です。
父・メフメト2世とは違い、拡張よりも内政・安定重視の政治家タイプの皇帝でした。

 

セリム1世(在位:1512〜1520)|“皇帝+カリフ”となった拡張王

在位わずか8年ながら、その影響は絶大。マムルーク朝を滅ぼし、メッカ・メディナをオスマンの支配下に置いた人物。
これにより、オスマン帝国の皇帝はイスラム世界のカリフ(預言者ムハンマドの後継者)の地位も獲得。
以降、「宗教的正統性」を手に入れたオスマン帝国は、イスラム世界のリーダー格に。

 

ムラト4世(在位:1623〜1640)|禁酒法と鉄拳統治のスルタン

若くして即位し、荒れていた帝国内部を強権的な方法で引き締めたことで知られます。
タバコ・酒・コーヒーを禁じ、自ら市中を変装して取り締まるという徹底ぶり。
また、ペルシャ遠征を行い、バグダードを一時的に奪取するなど軍事面でも成果を上げました。

 

マフムト2世(在位:1808〜1839)|近代化改革のパイオニア

イェニチェリ制度の廃止を断行したことで有名。つまり、中世的な軍制を捨てて、ヨーロッパ型の近代軍制へ移行させたんです。
また官僚制度や学校制度なども刷新し、帝国の「近代国家化」に向けた大改革をリードしました。
彼の改革は、後のタンジマート(恩恵改革)につながっていきます。

 

アブデュルハミト2世(在位:1876〜1909)|専制の最後を飾ったスルタン

近代化の流れの中で、憲法を一度は出すもののすぐ停止し、専制政治を徹底した“保守のカリスマ”
スパイ網・情報操作を駆使して帝国の統制を図り、「赤のスルタン」とも呼ばれました。
一方で、イスラム世界の結束を呼びかけるパン=イスラーム主義を掲げ、列強への対抗を図った点でも重要な人物です。

 

オスマン帝国の皇帝たちは、単に「王様」だったわけじゃありません。
それぞれが戦争・法・宗教・文化・外交のあらゆる局面で帝国を導いてきた存在なんです。
名前だけじゃなく、時代背景や政策をセットで覚えておくと、オスマン帝国の“動き方”がグッと見えてきますよ!